さて突然ですが、「働き盛り」といったら年齢でいうと何歳くらいを思い浮かべるでしょうか?
調べたところ、心身ともに健康であることが前提として、
❶ 充分な職務経歴を積んでいる
❷ 責任ある仕事をしている
と考えられる年齢ということで、現在であれば、35歳~59歳あたりになるそうです。
今回は、これをテーマに話をしてみます。
過去にはこんな時代があった
日本の公的年金を運用しているのは、独立行政法人「年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)」です。そのGPIFにおいて、2022年度の資産配分における債券割合は約50%でした。以前に比べると債券比率は減ったものの、それでも年金運用は資産の成長性だけを重視して運用している訳ではないので、「債券」は重要な投資対象であることに変わりはありません。
さて、この図にある資産配分は1950年の企業年金のものだそうです。内容をみると、債券比率が全体の約3/4も占めています。これ、どこの国の企業年金のデータでしょうか?

実は米国の企業年金のデータになります。いまでは考えられないくらい債券比率が多いですよね?ただ、こうなるには何も理由がなかったわけではなく、そして、株式の比率が増えていったことにも理由があります。
すべての米国民に深い傷を残した大惨事
1950年以前にあったすべての米国民に深い傷跡を残した大惨事といえば、1929年の「世界恐慌」でしょう。
この時、米国では、1929年10月24日(暗黒の木曜日)を境に株価が大暴落もそうですが、経済そのものが大打撃を受けました。1929年には 3.2%だった失業率が1933年には 24.9%まで上昇、工業生産は1929年から1932年にかけて 50%近く下落、卸売物価は30%以上下落、実質 GNP(国民総生産) は 35%以上の下落となりました。そして、1929 年のGNPピーク時の水準に回復させるまでに11年間も要したくらい、経済に与えた打撃は非常に大きなものでした。
このような経済下だったので、株式投資をしていようがしていまいが、特に「働き盛り」の人たちにとってまったく良い思い出(経験)をしなかった時代でした。
さて、この不遇の時代を過ごすことになった「働き盛り」の最も若い年齢が35歳だとすると、この人たちが「働き盛り」を卒業するのは、1929年+(60歳-35歳)=1929年+25年=1504年ということになります。これは年金運用に携わる人であっても同様で「世界恐慌」の記憶によって、かなり保守的なマインドという呪縛が解けなかったということです。これが超保守的な運用を1950年ごろまで行っていた理由のひとつです。
そして、この流れを断ち切ることができたのには、大きな転換点が2つあります。
ニュージェネレーションの台頭と発言力がある企業年金の行動
1929年から1950年の間には、世界規模での出来事となった「第二次世界大戦(1939年から1945年まで)」もありました。そもそも米国本土は戦地になっていないため、経済活動には大きな支障をきたしていない状況というのもありますが、この「第二次世界大戦」が間接的に、その後の米国の金融市場に大きな変化を与えることになりました。
❶ ニュージェネレーションの台頭
「第二次世界大戦(太平洋戦争)」が終結したのは1945年です。この頃、就職した若者たち(「働き盛り」予備軍)はどのような考え方を持っていたでしょうか?
世界大戦を最終的に終結に導いた国こそ自分たちの国であるということで、米国民であることにいつも以上の自信と誇りを持っていました。この自信と活気に満ち溢れている若者たちが、勢いそのものの投資法(成長株投資:高PERでも成長すると思えば買う!)を引っ提げて、金融市場に乗り込んできたわけです。
❷ 発言力がある企業年金の行動
「債券」とは、発行体が資金調達を目的として元本を返済する期限まで一定利率を支払うことを約束した証券であることは昔から変わりません。ただ、少し乱暴な言い方をすれば「国債」は国の借金であり「社債」は会社の借金です。
1950年10月、GM(ゼネラルモータース)の当時社長 ウィルソン氏が『大規模な年金プランは、アメリカ経済そのもの、あるいはアメリカの生産と成長の能力に対して投資をするものでなくてはならない』と演説しました。これは、企業年金たるもの借金である「債券」に投資するのではなく、経済成長と連動する「株式」に投資をすべしというもので、このことを契機に株式運用にシフトするだけでなく、企業年金そのものも続々と誕生することになりました。そして、この流れは1960年代になると、株式市場において企業年金という機関投資家の存在感を増す結果に繋がっていきます。
投資の世界における世代交代
ここまでは米国の話ですが、日本でも同じような状況が起きていると肌で感じています。株価だけで見れば、ブラックマンデー(87年)やITバブル(99年)、エンロンショック(03年)、リーマンショック(09年)など株式市場に影響を与えるような下落はいくつも発生していますが、これらは国民全員のマインドに深く傷を残すほどの影響はありません。やはり、日本の場合、経済的にも心理的にも日本人にとって大きな打撃を与えたのは「平成バブルの崩壊(90年頃)」でしょう。日経平均株価の最高値は1989年12月末に記録した38,915円ですから、ちょうどいま30~35年を経過したところです。
本来、景気好循環の波に乗っての株価上昇が理想ですが、最近の株価上昇は外国人投資家による資金流入が否めません。とはいえ、これまでのように臆病な投資家(バブル崩壊を経験した当時の「働き盛り」)によって邪魔をされるようなことがない時代になったのではないか、ここからは若者が新しく作り出せる時代なったのではないかということです。
これは、株式市場や投資家だけでなく、キャッシュリッチ信奉の経営者も世代交代をして設備投資や労働者への賃金、配当による還元等などにもつながるのではないかと期待しています。
せっかく30年に一度の大チャンス?が到来したので、その灯を消さぬよう、しっかりと正しい最低限の投資教育を受けた上で資産形成に取り組んでもらいたいものです。