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子供の金融教育について考える(その3)

 今回は、少し視点を変えた話をしようと思います。

 “子供への金融教育”という切り口から入ると「自分も習っていないから…」「そもそも何をどう教えたらいいのかわからない…」というようになる方が多いようです。ところで、そもそも子供に「金融教育をさせたい!」と思う背景はなんでしょうか?
 その一つとして、自分たちがいま直面している“所得格差”といったお金にまつわる問題に巻き込まれないとか、“所得格差”とは無縁でいられるようにさせたい…といった願いがあるからだと思います。
 さて、この所得格差ですが大人は当然のこと、普段の私たち大人の振る舞いによって実は子供を所得格差の問題に巻き込んでしまっているかもしれません。

「格差」がもたらす子供への影響

 さて、学校の中というのは同じ学年であれば当然、同い年の子供が集まっています。一方、その保護者のほうは年代や職業などバラバラなので、所得も違えば、家庭環境も違っています。
 それなのに「〇〇くんは新しいゲームを買ってもらった」「××ちゃんは子犬を飼ってるんだよ!」など、子供の世界では「何で他ができるのに、自分の家ではできないのか?」ということで、なかなか(彼ら/彼女らにとって)腑に落ちないことが沢山あるようです。このように学校という狭い世界のなかで、それも無意識なゆえ残酷な『ヒエラルキー』は日々起こっています。『ヒエラルキー』とは、ピラミッド型の階層組織や身分制度のことです。

※ピラミッド型の身分制度と言えば「カースト制度」を思い浮かべますが、カースト制度の場合は自分ではどうする事も出来ない身分制度なので、この点がヒエラルキーと違います。

 そんななか、大人の私たちはお金を含めた家庭環境や躾(シツケ)という観点から「家庭のルールだ!」という“力わざ”を駆使して、何とか子供たちを説得するでしょう。そのなかで、「あの家は金持ちだから!」と保護者自らがヒエラルキーを肯定して子供がわざわざ卑屈になるような教え方はしないですよね?
 ところが、保護者の無意識な行為が子供のヒエラルキーや差別に加担していることだってあるのです。

タワーマンションという階層ヒエラルキーの存在

 例えば、“マンション”という1つの同じ住環境であるのにタワーマンションの場合は、広さだけでなく新築時における階層ごとの販売価格という形で『高安』が可視化されてしまっています。ここで可視化されているのは『価格の高安』であって『人間としての上下』ではないのですが、価格が高い≒凄い(偉いに違いない…)という保護者のある意味豊かな想像力によって「階層ヒエラルキー」が起こっています。同じ階であっても「何号室は広い」というのはありますが、それよりも階層というのはそのマンションの構造を知らなくても“高い≒凄い”が想像つきやすく、それは子供でもわかることなのです。
 子供はある意味、残酷なので「お前んち、何階?」って聞くことで、下の階≒蔑む相手と見下すような行動につながっているという話をきいたことがあります。これって、上層階の保護者の問題でしょうか?低層階の保護者の問題でしょうか?それとも、そもそもこのことを問題として取り上げることが違っているのでしょうか?

お受験がもたらす負の作用

 幼稚園~中学校のお受験となると、ある意味、しなくてもいいことをしているわけで、塾に行かないまま受験することもまずなく、入学する前も入学した後もお金が必要なライフイベントになるでしょう。
 本来、周りのみんなが遊んでいるのに、子供を塾に行かせるために「あなたは特別だから…」とか、近くの公立校を通る際に「あなたが行くのはココじゃないから…」みたいなことをさらっと言ったりしていませんか?
 何気ない一言ですが、小さい子であるが故に、親の発言による影響力は我々が思う以上に大きく、子供の狭い世界では「自分は特別…」という思いからヒエラルキーに繋がるというよりは、孤立して仲間外れになるということにつながりかねない行為です。これって、受験させる保護者はどのように振る舞うのが良いのでしょうか?

「お金」に関する教育を考える

 先日、第105回全国高校野球選手権大会では、神奈川の慶應義塾高等学校の優勝で幕を閉じました。小さいころから野球を始めた子たちのあこがれの場所ですが、そもそも甲子園に行くには運も実力も必要ですが、それ以前に野球の強豪校に入る必要があり、そのためには野球もしくは塾に通い、強豪校に入ったとしても遠征費用とか、道具を揃えるとか、なにかとお金がかかります。とても残酷な話ですが、いまの時代「努力」と「根性」、そして「才能」だけではあこがれの場所に到達できる世の中ではないといっても過言ではないと思います。これは、野球に限らず、何でもそうでしょう…。

 よく「お金の教育」というと「お小遣い帳を付けて管理させましょう!」というような“お金の使い方”を教えたり「お金は感謝を具現化したもの…」といった“性善説”だけの話をするところはよく見かけます。ただ、これだけでは今回の話題の解決にはつながらないと思いませんか?
 そして世の中には年齢に関係なく、残念なことに善人だけでなく悪人もいて、そのどちらもお金が欲しいのです。これを子供にどう伝えるかは、私のような他人があなたの子供に教えるようなキレイごとだけでは済まないということなのです(でも私は、“自分の子供だからこそ”多少無責任な内容であったとしても私の考えを教えることができるのです)

 子供の金融教育も大事ですが、それ以前に保護者である大人もお金を通した勉強(敢えて、金融教育とかマネーリテラシーという狭い範囲の言葉は使いません)をする必要があるのではないかということです。
 なぜならば、子供には「正しい人であれ」「優しい人であれ」って口酸っぱく教えるのにもかかわらず、大人であるがゆえ、聖人君子が必ずしもお金持ちになっていないことや、お人好しが損をすることを知ってたりしませんか。だから、保護者が子供に教えるなかに、これらを踏まえて保護者ご自身の言葉として何を伝えるのかを考えることはとても大事なことではないかと思います。これは、私たち他人がご子息に伝えるよりもはるかに説得力があり、それこそが家族の絆がより一層強まることだと思います。

~その4につづく